20250830 270円

たまにはおでかけして休んだほうがいいらしい。在宅で作業する人間が家で休もうとすれば「作業できるのに(するべきなのに)していない」ことに心が圧迫され続ける。本当の意味で休むにはそもそも作業ができない環境に身を置くしかない。まったくその通りだねえ。

9時前に起き、朝食を食べて歯を磨きシャワーに入り、ほぼ一か月ぶりに身だしなみを整え(これが、わたし……?)家を出る。地下鉄で札幌駅まで向かう。移動中にプログラマから仕様の確認の連絡が来て、休みの日に仕事の話してメモリ圧迫させないで!って怒った。後々考えると、今日は休むと伝えていなかったので理不尽だった。翌日謝った。余裕がない。けっこう追い詰められてるのかもしれない。

シネマフロンティアでタローマンを観る。思ったよりは混んでて(席の70%くらい埋まってる?)、子供もけっこういた。よかった。冒頭楽しすぎて泣いてたけど、ずっとその熱量で続くからおもしろ疲れしてなにも感じなくなる時間さえあった。スタッフロールの最後がかっこよくて、どきっとした。マイナスに飛び込むぞ。

せっかくなので8番出口も観ることにして、上映までの時間でジュンク堂へ向かう。食事中に本を読むようにしてから、文庫本が生活必需品のようにコンスタントに減っていく(減っていくわけではないが)。短篇集を多めに買う。どういう小説が読みたいかではなく、どういう小説が読めないかの波がある。最近は長篇小説がよく読めない。入り込むまでの負荷が大きい。短篇も短篇で個々の物語に入り込む負荷はあるけれど、どうやら別種のものだ。あと長篇小説って読後感全部同じじゃないですか。道中に抱いた様々な感覚が消え去って、はー読んだ……ってぼうっとする感覚だけが残る。いまは短篇でいろんなこと感じたりするのがあってる。とはいえ、短篇集って読み終わったとき2、3個しかろくに覚えてない。

本で重たいバッグを抱えて映画館に戻る。映画館までのエスカレーターで「よくわからないけど、ニノが出るからなー」という会話が聞こえる。有名人起用するのってちゃんと効果あるんだ。売店でミネラルウォーターが270円で売ってたので注文してみる。店員に「いろはすですがよろしいですか?」と聞かれ「はい」、店員が奥の方へ去り(背後のドリンクサーバーに水はないらしい)、やがて500mlのペットボトルを持って戻ってきた。受け取る。マジ水。割高なのは了承のうえだけど、ペットボトル水をドリンクホルダーに置けば周りの人に「あら、この人持ち込み禁止なのに自分で水持ち込んじゃって。ま、別に私に関係ないし、注意するとかではないけどサ……」と思われそうで、ちょっと微妙だった。映画館ってその場に集まった人たちと体験を共有する場だから、今後会わないとしても隣の人に内心で嫌われたくないんだよな。ほかの飲み物と同様カップにストローで提供されたら嬉しいのだけれど。

8番出口を観終わる。よかった。ストーリーがない原作のシステム/設定からあえてテーマを見出すならこのようになるだろう、という妥当さでもってきっちりと作られてた。脱出ゲームなら扉を開き光溢れる空間へと飛び出して終わる。その後があるとすれば、ときに厄介で単調なもとの人生へと合流していくことになる。個人的な好みでいえばジャンプスケアあったり登場人物が心折れて泣き叫ぶパートあったり(ゲーム感覚だと心折れるの早すぎておもしろい)ホラー寄りなのはちょっとなあと思ったけど、実際迷い込んだら怖いだろうからそうかもしれない。ゲームの映画化であってゲームではない。

さらに好みでいえば、まーた異性愛と家族かいなーって思ったけど、これはジャンルの作法みたいなものなんだろうと思う。最近はどんどん心が狭くなり、フィクションにキレる若者(まだいけるか)になりつつあるので、気に食わない描写をジャンルの作法みたいな言葉で受け入れるようにしている。例えば笑わせるためではなく間を持たせるためのコミカルなシーンとかは苦手だけど、序盤のその感じを乗り越えたらおもしろくなってくることもけっこうある。劇場を出るときに英語で感想を話している人たちがいて、内容はわからなかったけど”Ojisan”と言ってるのだけは聞こえた。

帰り、寝る。ところで8番スクリーンで上映してたのは偶然だったのだろうか。

またなんかあったら書きます