月報

こんにちは。おいし水です。2024年9月の月報です。お知らせというより日記。

ペンギンやってる

今月はずっとシナリオ書いてました。4章が終わって、いま5章の前半やってます。1か月に2章ずつが理想ですが、結局1か月に進むのは1.2章くらいです。ちなみに、4章の文字数は35000字くらいでした。ざっくり1か月に40000字くらいっぽいですね。小説の執筆スピードとして考えると遅いほうですね。地の文が一切ないし断片的なのであまり比較できるものではないですが。

シナリオを書く作業は、書いてる時間より、書いてない時間のほうが多いです。どうしよう~ってなってる時間。あと気絶。システムの都合上、ストーリーは戦闘や探索を挟みつつ途切れ途切れに進んでいくので、長編小説みたいに一本の流れでぐわーっとは書けなくて、そこでけっこう止まって考えたりします。あと、断片的なものを書いてると、ひとつ終わる度にひと段落ついた気持ちになるから、次を始めるまでの心理的障壁がある。なんか、もっとうまいこと進められたらいいですよね。

あとはキャラクターの見直しとかもしました。なんかずっとしっくり来てなくて、動かしにくいね~って思ってた人を色々変えたり。仕立屋のキャラクターめっちゃ迷走してた。迷走というか、なんかうまく細部が想像できない感じ。ひとりでいるときにつまらなそうにご飯食べてる姿が浮かばなかった。物語上の役割以上のものが見えてこないというか。

そしてやっぱり、とにかくシナリオですね。書きたいことを書いてる分、シナリオは書いてて不安になりますね。不安だからやめる、とかではないんですけど、これはおもしろいのか?とか考え始めたりはします。あとは、自分の未熟さとかが気になったり。ひとつの都市というか国というか、物理的にある程度大きなスケールの舞台を描く以上、社会というものを描かないわけにはいかなくて、そうなるとちゃんと描けるのかって思ったりして、うおお不安不安不安助けてーってなります。

なんかでも、ここで肝心なのは、わたしが疵瑕のないものを作れるかどうかではなくて、どちらかといえば、未熟で完璧ではないものを、そうと理解しながら自分の名前で責任を持って公開する覚悟というか、そっちですね。先人たちもやってきたことだし、それはもう場に出るための前提でしかなくて、腹をくくるしかないス。

作業記録するの意味ある

前回の月報で始めたと書きましたが、まだ続いていて、かなり意味あります。進捗わかるのでいいです。読んだ本の記録したら本読む習慣戻ってきました。いまは関心領域読み終わって、ジーザス・サン読んでるよ。ジーザス・サンの「緊急」って短編すごくおもしろい。あと記録が正しければ、9月は3回しか外出してなかったです。豊平峡温泉に行ったのと、道立文学館に行ったのと、新しい眼鏡受け取りに行ったので3回。記録するとすべてわかりますね。全知全能になります。

ところで道立文学館では氷室冴子の特別展をやっていたのですが、展示の前半、大学時代の作品についての解説が終わったと思ったら、次には28歳頃の作品に話が飛んでいて、ちょっとそこでびっくりしたというか、わたしは23歳で、いま作ってるものにしっかり自分を賭けているつもりなのに、そんな、全体として振り返ることになったら一瞬でこのあたりって飛ばされるんですか?って思ってけっこう途方もない気持ちになりました。でもそうなるくらいには活動続けたいですね。

以上です。書くことないので日記でしたね。でもほんとにしばらく書くことないです。ずっとシナリオ書きます。今年中にストーリー本編終わってほしすぎる。なんとかなりませんか?あとなんだろう。最近は作業の合間にぷよぷよテトリス2をやっていました。2か月で65時間くらいやってた。Nuclear Throneと違って遊びながら考えごとをする余裕がないので、あんまり休憩としてよくはないです。テトリスとかぷよぷよをやってるときって落ちものパズルをしたいわけじゃなくて、脳のリソースを限界まで使って何も考えられない状態になりたいのであって、それって緩慢な自殺みたいだなって思います。いっときでも瞬間ごとの、瞬間だけの存在になりたいという欲求はきっと一般的で、エンターテイメントに機能を求めるとすれば、楽しい嬉しいとかを差し置いて第一にそれなのかもしれないです。それで、テトリスとかをずっとやってるうちに、脳がどんどんテトリスになっていきました。脳の演算処理とパターン認識の能力が発達して、抽象思考(というか、ぼんやり考えごととかする)に割かれる領域が減った感じがあり、ちょっとこれは長期的に見て制作にも悪い方向に影響するなって思ってぷよぷよテトリス2はアンインストールしました。テトリスをやっていた時間で、色々と小規模なゲームを遊ぶようにしたいですね。さようなら。